なぜ長時間労働してしまうのか
長時間労働に限界があることは明白です。
にもかかわらず長時間労働の問題がなくならないのは、労働力を投入し続けることで利益を増やすという、量的拡大の誘惑にどうしても駆られてしまうからです。
工場ラインで、同じ人が同じ機械で同じ製品を生産する場合を想像してみるとわかりやすいです。単純に長時間連続稼働したほうが産出が大きくなります。
しかし、時間長=産出大⇒収益拡大の持続ではないということは明白です。
人間はロボットではありません。休息と消費をしなければ働き続けられませんし、適度な動機付けや知的刺激がなければモチベーションを維持できません。
長時間労働からの脱却の方法の一つは技術革新です。最新設備により業務効率を上げて人に無理をかけないようにすればある程度人への負担は軽減します。
しかし、大きな設備の償却負担は何十年もかかりますし、先端技術導入の投資は簡単ではありません。
そもそも実際の事業活動はそんなに単純ではありません。
この問題に気付かないまま悪循環に陥った事業は継続困難です。付加価値を生むのは人だからです。
仕事は人がつくる
人間は考えることができる知的な存在です。研究、工夫、実験、実行、検証、改善の積み重ねが現代の文明を築きあげてきました。
それを支えてきたのは「人として幸せに生きたい」の一言に集約できると思います。しかしそれは誰のためでしょうか?
個人生活の視点で見ると「仕事⇒消費⇒休息・趣味」のサイクルが「家族、友人、会社、恋人、地域のコミュニティ、宗教」などの社会に支えられて成り立っています。
人が仕事をつくります。AIや先端技術はその手段にすぎません。
社会における「仕事」は利用者や消費者あってのことです。人や社会の役に立たないものは価値の提供にはならないのではないでしょうか?
ところで、21世紀になって19世紀より文明は発達しましたが、日本で長時間労働がなくなってませんよね。なぜでしょうか?
解決策は一筋縄ではいきませんが、筆者は組織の在り方にヒントがあると考えています。
次回は、長時間労働による量的拡大から卒業する方法を考えてみたいと思います。